神楽坂の上のテラス 縁香園

Interview「おいしい」の
向こう側~縁香園のもう一つのストーリー~

縁香園で食す「おいしい」の向こう側には他店にはない
ココだけのスパイスがある。
それは縁香園の遺伝子に選ばれた
アンサングヒーロー達のもう一つの物語である。

インタビュー・文:原山 拓也

第1回料理長 塚越淑人

厨房というフィールド

もともと、小学生から野球を始め、高校時代では都立高校の野球部で主将として、甲子園を目指していた塚越。全国からセレクションで入学してきた選手ばかりで練習施設も整っている私立高校と違い、施設も練習時間も限られている都立高校の野球部は、天才的なスーパースターなどいない。自分たちの可能な限りのリソースをフルに使い、頭を使って勝利への最短コースを効率的にみんなで力を合わせて進んでいくことが求められる。しかし、都東大会で惜しくも敗退。その後はチームメイトが進学に向けて進んでいくなか、塚越も確かな進路の方向性が決めきれず、漠然とした不安と抱えながら、真剣に取り組んできた野球からの解放感と大事なモノを手放さなくてはならない未練とで、「ふわふわ」としていたそうだ。

「野球部を引退し、することがなくなってしまって、中華料理店でホールのアルバイトを始めました。しかし、これまでの野球部との雰囲気とは全く違い、皆さん優しくて。あたりも丸く、言葉も心地がいいくらい丁寧。しかしその分、“物足りなさ”を感じている自分がいました。ふと厨房を見たら、翻ってまさに戦場、でした。」
塚越が目にしたのは、大きな包丁の繊細な動き、鍋が重なりあうたびに鳴る鉄の音、蒸籠から立ち込める蒸気、今まで見たこともない火柱、計算された無駄のない動きで料理を続ける汗だくの男たち…そんな厨房の光景だった。

「(その厨房の光景に)不思議と違和感はありませんでした。ずーと見ていることができました。それほど厨房の熱量がすさまじかった。あぁ、自分のいるべき場所はホールじゃなくて、厨房なんだろうなあと。それで、かっこいいなあと惹かれました。この感覚は今でも全く変わりませんね。」

突然の野球の話で恐縮だが、硬球で野球をやったことのあるかたならばお分かりかと思う。硬球は、打球のスピードゆえ、自分のグラブに入ったときの音、捕球時の衝撃や強さ、掌の痺れ、体全体のずしりとした感覚は軟球とは全く違う。落球し体に当たれば、痣は確実。頭にでも当たれば、死だってある。だから硬式野球は、緊張感と真剣さと熱量が或る一定の基準で必ず必要である。遊びでやると必ず怪我をするからだ。真剣に向き合うことで得られる快い感覚。ゆえに、凛と張り詰めた空気の中で一球一球の行方を必死に追い、確かな質量を体で感じる硬式野球の魅力に多少の怪我も顧みず高校球児は、取り憑かれていく。
ホール越しの厨房に塚越が見たのは、緊張感の中で硬球の行方を常に真剣に追いかけ、自分の成長を感じることができた高校時代の野球場と同じ光景だった。この厨房というフィールドなら、自分のこれからの成長を再び実感することができるはずだ、という根拠のない自信。それまで包丁を握ったこともなければ、味噌汁も作ったことがなかったと語る塚越が、この根拠はないが確固たる自信から厨房の魅力に取りつかれ、料理人への道を進むことになる。

「当時はまだ、なにかしたい、というわけではなく…漠然と手に職を付け、美容師にでも、と思っていたくらいです。でも、厨房を見た時から、自分のいるべき場所はここだと感じました。当時のバイト先の料理長から『将来何をしたいんだ』と聞かれ、二つ返事で『料理人になりたい』と伝え、調理師の専門学校に行くことも決心していました。」

厨房というフィールド

秋場俊雄との出会い

その後、塚越は調理師専門学校へ進む。厨房の魅力を教えてくれた中華料理店でのバイトは継続。塚越の料理への素直な眼差しと手を抜かない姿勢から、料理長は「就職先は忙しくて厳しいが、修行にもってこいのレストランを紹介する」という約束を塚越と交わす。

「何の根拠かわからないけど、『君なら大丈夫だよ』と、アルバイト先のチーフに言われました。高校を卒業したばかりの自分にとっては、何がどう大丈夫だったのか分かりませんが、きちんとした大人に太鼓判を押してもらうだけでも、とても心強く感じました」

約束通り、専門学校を卒業直前に就職先として或る一軒の中華料理レストランを紹介してもらう。今年で六十六年を迎える老舗「頤和園」である。そして、そこに、チーフとしてチームを率いる秋場俊雄がいた。

“家族と一緒に食事に”と秋場から誘われ、家族と共に「頤和園」へ会いに行くことになったときのことを塚越は思い出しながら話してくれた。

「当時チーフだった秋場に初めて会ったときは、まさに“大親分”ですよ。小さな厨房でしたがみんながてきぱきと汗だくになりながら働いている光景をここでも見ることができました。」

塚越は「頤和園」で働きたいという意思と、卒業するまでの数カ月間をアルバイトとして雇ってほしいとの旨を母親のいる食事の場で伝えた。ここから秋場俊雄のもとで、コック見習いとして、厨房に入り、下積みが始まる。

「本当に忙しいんです。働き始めて、右も左もわからない、何がどうなって作業が流れていくのか、何をしているのかもわからない。言われたことをやるだけならいいんですけど、指示のタイミングや、その内容が、皆目見当つかずに、右往左往。専門学校卒業したての若造ですので最初は『客人』を扱いです(笑)。そりゃあ、怖かったです。先輩たちに対して、この(戦場のような)状況でよく何年も続くなあ、と弱気になったりもしましたが、野球部の時のような張り詰めた空気を求めていたんだと思います。」

一番下っ端の塚越に仕事を教えたのは、秋場ではなく、秋場と塚越に間にいる先輩。チーフであった秋場との関係は、たまに「頑張ってる?」と声をかけられるくらいで、とてもかかわることができない距離からスタートである。

「“秋場の厨房”では、その基礎をマスターした猛者だけが直接指導を賜る…そんな感じでした。直接教えてもらえる立場まで行くのに何年かかるんだ、というくらいチーフであった秋場とは、はるかかなた、とんでもない距離感を感じていました。」

しかし、本人とは裏腹に、秋場は塚越の素直で吸収力のいい気質とまじめな働きぶりを、程よい距離感でそっと見守っていたことになる。秋場はその後、全店舗の統括料理長となり、塚越が修行を始めた年の十月に、新店として、霞が関店がオープンする。

「『次のカスミ(霞が関店)、来るか?』って秋場から声をかけてもらいました。新店は、忙しいのと、メンバーはとても優秀な方たちばかり…とても怖かったんですが、またこの時も二つ返事で『お願いします』と即答し、霞が関店に呼んでいただきました。目の届くところにおいてもらったことが、今の自分につながっていると思います。」

秋場俊雄との出会い

「家族」の存在

塚越が、料理人としての矜持と自覚をドライブさせたのは、彼にとっての新しい「家族」の存在だ。

「二十二歳の時に、妻から子供ができたことを伝えられました。本当に嬉しいと思う反面、まだまだ厨房では修行中の状態で家族を養っていけない…という不安が先立ってしまい、料理人になることを諦めて、体一つで今よりも稼げる他の職業に転職を本気で考えていました。」

常に自分を支えてもらってきた親の後姿から、子を育て面倒を見て、一人前にすることの意味を人一倍理解していたからこそ、料理人として半人前である自分に対して漠とした不安が先に立った。

小学校の卒業文集に「将来は料理人になる」と書いていたという。高校を卒業するまで料理をしたことがない塚越が、なぜこう書いていたのだろうか。

「男が料理を作ることって『かっこいい』と思っていたんです。」

文集に書いた時の気持ちを塚越は、笑顔でこう話してくれた。日々働いて帰ってきてから、いつもおいしい食事を作ってくれる母親に対して自分なりに感謝しお返ししたい、との想いの発露が「将来は料理人」だったのだろう。また、料理は愛情そのものであり、料理を自ら作って提供することは愛情を表現することであることを、自然と幼い時分の環境と大事に育ててくれた母親から敏感に感じ取ってしっかりと刷り込まれていたのだろう。またそうすることが「家族」であるということも。

―――――閑話休題。

「お前どうするつもりだ、子供を育て家族で生活していくのにいくら欲しいんだ、奥さんときちんと話してこい!」

当時、家族が1人増えることを報告し相談したときの秋場の言葉だ。「無知無謀の若造」と本人が言う当時の塚越に「いくら欲しいか」というような丁々発止の問いかけは、乱暴に聞こえるが、塚越を支えたい想いやりから発せられた言葉に違いなかった。他人同士では言えない、親であり父であり家族でなければ言えない言葉だ。

「秋場俊雄は、いうなれば“父”なんです。そのあとは、いい意味で『ほっておいてくれた』と思います。とても感謝しています」

妻に相談すると「一人前の料理人になれ」と励まされ、厨房の先輩からは「生活があるお前が半端な気持ちで仕事をしている場合じゃない」と諭され、秋場は相変わらず“父”の距離感を保って見守り続けた。

塚越は、妻と子供の家族の延長線上に、厨房にも同じように厳しくも温かい父がいて「家族」がいることをいつも感じながらどん欲に厨房の先輩から技術を吸収した。

その時に生まれた子供を含めて、今や二人の男の子の父親である。

「うちに帰って、家族に料理をふるまったときに、『パパが料理人でよかったぜ!』と息子に言われて、照れくさいですけど嬉しいですよね。」

「家族」の存在

転機と「想いやり」というバトン

「頤和園」に25年勤務した秋場は、2015年2月に、独立を果たす。それがここ「縁香園」だ。塚越に秋場は「独立する。いっしょに仕事をしないか?」と誘った。

「総料理長であった秋場から声がかかるなんて思ってもみなかったので、本当にうれしくて、人生にこんなチャンスみたいなものがあるのか!と思いました。今回もこれまでと同じように、二つ返事で『行きます』と返事をしました。秋場俊雄の後姿を厨房で見てきているので、全く不安はなく」

こうして秋場と塚越の「縁香園」がスタートした。秋場から仕事はもちろん、人としての考え方を直接教えてもらう中で、肝に銘じているのは、人としての「想いやり」だ。

「お客さんに対して、料理に対して、食材に対して、一緒に働く仲間に対して、そして家族に対して“想いやる”こと。深い想いやりも持つ秋場の姿を常に真横で見てきました。想いやりがない仕事は『傲慢』だと。人の上に立つならば、常に想いやりをもってなければ、誰もついてこない。足りないのはそこだ、と未だに叱られます。」

仲間が気持ちよく仕事してくれるような段取り、お客様が一番リラックスできる接客、食材そのものの良さを最大限発揮させる技術、すべてに共通するのは「自分」ではなく、相手や対象を依りどころにして能動的に行動する態度。これを塚越は「柔らかい」という言葉で表現した。

「縁香園に来る人には皆さん、柔らかくお食事してほしいと思っています。来ていただいた方が、自然とすっと気持ちよく過ごして幸せになってもらいたい。幸せにするための食事をしてほしいと思っています。秋場俊雄がそうなんです。お客さんに対して、料理は勿論、サービスひとつ、会話一つ、表情一つのすべて温かい、というか、柔らかいんです。かしこまっているようではなく、自分の家族が住む家に、お客さんを招くような感覚で、お客さんには安心してきてもらいたい。『こんにちは』と言って入ってきてほしいですね。お、今日顔色いいね、とか、親近感を持ってお話をしながら。おじいちゃんとお孫さんが仲良く入ってきてくれる店づくりをかっこつけずにね。料理同様、この考え方は秋場俊雄に教えてもらったもの。だからこそ、縁香園にあるこの『柔らかさ』を自分のモノにしたい。そうしてこれから先もいつも料理を食べに来ていただき、自分を育てていただいているお客様と家族と縁香園の家族ともに、これからの塚越淑人の物語があると思っています。」

転機と「想いやり」というバトン

クリエーターとして、
プロフェッショナルとして。

縁香園がオープンしてから今年で7年目。
お客様から「もう美味しいから、秋場さんいなくてもダイジョブだね」と言われるように、お客様に責任と自信をもって料理を提供し、料理長として厨房を仕切る塚越は、秋場から厨房、店舗の方針、切り盛りまで任されるようになりつつあり、絶大な信頼の中でやりがいと充実感を感じている一方、「自分は今成長しているか」と不安から自問自答をする時があるという。

「ここまでできるようになった!と思っても、振り返ってみると、あの時はまだまだ未熟だったよな、と思うんです。何もできてなかったのに、あんなに偉そうにしていたんだろうと。なので、できなかったことができるようになったということを常に感じながら、仕事をしていきたいと思っています。出来るようになったと満足せずに、もっと先へ目指さないと」

秋場と過ごしてきた15年で、秋場が持つ柔らかさというDNAの基本を身に付けてきた自信を糧に、もう一段上のステージへの挑戦を始めている。クリエイティブであることへの挑戦である。

秋場の料理を一度食べたことがあれば、そのクリエイティビティは誰もが認めるところだ。お客様は誰と来ていているのか?その雰囲気・体調・表情・季節・天候・時間…といった様々な要素で、柔らかい幸せな時間を提供するためにどんなメッセ―ジをお客様に届けるのか?秋場の持つ自由で豊かな発想から、既存の枠をはみ出し、これまでに食べたことのない方法で手間暇惜しまず提供してくるサプライズがいつもあるからだ。

塚越がいざ、これから縁香園を通じて、さまざまな料理やサービスをつくってお客様に提供していくのに、考えてなくてはいけないと感じているのは、この柔らかいクリエイティビティだ。料理一つ食材一つとっても、自分がもてなすお客様に、どういうメッセージで、どういう体験をしてもらうために、どんな表現、アプローチをするんだ、ということを考えなければ、クリエイティブではないと。

「秋場とは『クリエーターってなに?』という話をするようになりました。お前の作ったものは、世間一般にあるものと何も変わらない。これを食べてもらって、どんなサプライズ、どんな幸せがあるのか? こんなもの売り物にならないよと、たびたび言われます。秋場のクリエイティブも、自分のモノにしていきたい。そのために自分は何に携わって、どんな空気に触れればいいんだろう、どんな刺激をもらえばいいんだろうかって最近はいつも考えています。全ての刺激を自分のモノにし常に成長したい。季節や自然もそうです。こんな時期には、どんなものをつくればいいのだろうか。 もっとセンスを磨いて、感覚を研ぎ澄まして、自分の感じるものに繊細になってお客様におもてなしをしたいと思います。あまり偏ると、嫌われちゃいますが、周りが自然と気に入ってもらえるといいなと。料理の仕事は、生きている限り続けていく。だからいま自分ができる最大限のおもてなしを超えて、もっともっと視野を広げて、センス、感性を磨いて、経験をして、もっと柔らかく、考えて。そこに真剣になっていかないと、楽しくないかなと思います。」

その為に、常に平常心を保ち、いつでも最高のパフォーマンスを発揮できることがプロフェッショナルとして仕事をするうえで重要だと感じている。一番いま気を付けていることは「体の調子を崩さないこと」。

「一寸でも調子が悪いと、集中できなくなってしまうじゃないですか。プライベートでも体の調子を整えるようにしています。休みには、ランニングをしたり、サウナに行ったりと、心身のストレスをうまく抜くように気を付けています。厨房の若い子にもいうのですが『体が凝り固まったようだと集中できないから』と。アスリートだと『パフォーマンスが落ちる』と言いますが、まさに全てのプロフェッショナルに共通することだと思います。」

最後に塚越に将来の夢を聞いてみた。

「毎日毎日、自分のクリエイティブを秋場はもちろん、お客様に認めてもらえる料理やサービスを絶えず提供していくことを一生懸命やっています。なので、目標とか、夢とか、なかなか考えられないのかなと。何かに向けて頑張るというより、縁香園に来た方が喜んでいただきたい一心で、日々一生懸命やりたい、という気持ちのほうが強いかもしれません。秋場の考えのもと、その先にある縁香園をどうしていくか?ということを、自分なりに解釈して、そのためにすべきことを考えるようもなりました。『この店を一人で切り盛りできるか?』と質問されたら、今まで通り二つ返事で『できます』です。秋場がいつ引退してもいいように。強い気持ちはあるんですが、まだまだいろんな勉強が必要ですけどね。『成長なんて言ってないで、もう自分でやるんだよ。いつまで勉強しているの?』って言われるんですけど(笑)。」

縁香園の父からのDNAを引き継ぎ、超える日は近い。

クリエーターとして、プロフェッショナルとして。

インタビュー・文:原山 拓也

秋場シェフ インタビュー

to top